いい話を、子どもたちに!【いい話を集めたブログ】

いい話をたくさん子どたちに聞かせたいと思い、古今東西からいっぱい集めました。寝る前にスマホで読み聞かせできます。大人の気分転換にもどうぞ。

「大人へのカード」(高校生以上)読了時間:約15分

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あらゆるものを奪われた人間にたったひとつ残されたもの、すなわち人間にとって最後の自由とは、自分の態度を決める自由である。

ビクター・フランクル

 

告白すれば、ぼくは大学一年になってからもまだ、思春期特有の怒りに悩まされていた。

 

世の中のことはほとんどあらゆる点で気にくわないという漠然とした怒り、そして自分の親たちのことは何もかも気にくわないというはっきりとした怒りに支配されていた。

 

命令やお説教ばかりの父のやり方に憤慨していたのだ。

 

ぼくは経済的な理由で地元の大学に入り、両親の元から通学していたが、ある朝、父と激しく言い争った。

 

ぼくは、父がぼくのことを思い通りにしたがっていると感じて、その束縛から逃れようとし、父は父で、ぼくを反抗的だと決めつけ、父親としての権威を思い知らせようとした。

 

互いに感情を爆発させ、大声でののしり合ったあと、ぼくは家を飛び出した。

 

しかし、いつものバスには乗り遅れてしまった。つぎのバスには乗れたものの、授業に間に合わないのは確実だった。ぼくの怒りはいっそう募った。

 

学校への道すがら、父親に対する腹立たしい思いが頭の中を駆けめぐった。たいていの思春期の子ども同様、ぼくも自己中心的な考えにしがみついていた。

 

世界中にこれほどひどい父親はいない、こんな不公平を我慢できる人間なんかいるものか、と。おやじはハイスクールさえ卒業してないじゃないか。ぼくは立派な大学生だぞ!よくもぼくの生活やぼくの将来のことに干渉できるものだ!

 

ぼくは、教室目指してだだっ広いキャンパスを横切った。とそのとき、宿題を忘れたことに気づいた。「思考カード」である。

 

この授業を受け持っているシドニー・サイモン教授は、大学一風変わりな教師だった。彼の考え方はユニークだったし、成績のつけ方も教え方も型破りだった。だから、サイモン教授の名前は何かと話題に上った。

 

最初の授業で、サイモン教授はこう説明した。「火曜日ごとに、『思考カード』を提出してください。インデックスカードの一番上の行に自分の名前と日付を入れたら、あと何を書くかは君たちの自由です」

 

「自分の考え、心配ごと、感じていること、疑問に思っていることを書いてもいいし、単にそのとき心に浮かんだことを書いてもかまいません。これは、君たちが私と直接コミュニケーションする手段なのですから。プライバシーは完全に守りますし、水曜日には、コメントをつけてお返しします」

 

「もし質問が書いてあれば、私のできる範囲でそれに答えます。相談にもできるかぎり応じます。ひとつだけ覚えておいてもらいたいのは、このカードが火曜日の授業への出席許可証になるということです」

 

最初の火曜日、ぼくは言われたとおり、名前と日付をきちんと書き入れたハガキ大のインデックスカードを提出した。その下には、こう書いた。「光るものすべてが金ではない」。

 

翌日、サイモン教授はカードをクラス全員に返した。ぼくのにはこう書いてあった。「このことわざは、君にとってどんな意味があるのだろう?特別の意味をもつのか?」

 

このコメントは、ぼくを落ち着かない気持ちにさせた。教授が本気でこれに取り組んでいるのは明らかだった。しかしぼくは、彼の前ではぜったい本当の自分を出したくなかった。

 

一週間がたった。サイモン教授の講義は毎日一コマずつあったが、彼はかなりの切れ者だった。学生に質問しながら授業を進め、どんな教師も取り上げなかったような問題を取り上げた。

 

そして、ぼくたち学生を挑発してもっと深く考えさせるよう仕向け、社会問題、政治問題、個人的問題など、あらゆるテーマを教材として活用した。

 

科目名は「社会科教授法」だったが、実際はそれよりはるかに幅の広い内容だった。

 

ぼくが高校で習った社会科は、それが歴史だろうと、地理だろうと、経済だろうと、どれも暗記物として教えられ、事実や名前や年号を丸覚えしておけば、試験にも合格できた。

 

自分の頭で考えるように言われたことなど、ほとんどなかったのである。

 

最初ぼくは、教授がぼくたちに特定の思想を植え付けようとしているのかと疑った。しかし、サイモン教授に限ってそんなことはなかった。彼はただ、ぼくたちに考えさせ、探求させ、研究させ、疑問を抱かせ、自分自身の答えを見つけさせようとしていたのである。

 

ぼくは、ますます居心地悪くなっていた。

 

彼の教え方には、愉快かつ新鮮で魅力的な何かがあった。だが、こんなやり方にそれまでお目にかかったことがなかったぼくは、教授に立ち向かうべき「戦術」をもたなかったのだ。

 

それまでぼくは、授業というものをどう受けるべきか熟知していた。前の方の席に座り、授業がどれだけ面白かったかをその教師に伝え、きれいにタイプしたレポートを提出し、あとはひたすら暗記に暗記を重ねればよかった!

 

でも、この授業は明らかに違っていた。これまで通りの戦術は通用しなかったのである。

 

つぎの火曜日がきた。ぼくは思考カードに「適当なときのひと針は苔がはえない」と書き込んだ。「適当なときのひと針はあとの九針の手間を省く」と「ころがる石には苔がはえない」のことわざを合わせてもじったのだ。

 

ぼくは、本音を知られたくない相手に対してはいつもユーモアで武装してきたのだ。

 

翌日、こう書かれたカードが返ってきた。「君にはユーモアのセンスがあるようだ。ユーモアは、君の人生の重要な部分を占めているのだろうか?」

 

彼は何を求めているのか?いったい何が起こっているのか?

 

小学校以来、個人的にぼくにかかわろうとした教師など一人もいなかったというのに......。いったいこの男は何を求めているのだろう?

 

始業時間からすでに十分が経過していた。廊下を走って教室の前まで来ると、ぼくはインデックスカードを一枚取り出して、名前と日付を書いた。

 

それから、何を書こうか絶望的な気持ちになった。ついさっき父親と言い争ってきたことしか、頭に浮かばなかった。「自分は大馬鹿者の息子だ!」と書いて、ぼくは急いで教室に入った。

 

教授はドアの近くに立って、ディスカッションを進めていたが、ぼくの顔を見ると手を差し出したので、ぼくはカードを渡して席に着いた。

 

その瞬間、ぼくは恐怖にとらえられた。自分は何をしてしまったのだろう?あのカードを渡してしまった!何てことだ!あんなものを出すつもりはなかったのに。ぼくの怒りのことも、父親のことも、生活のこともすっかり知られてしまうだろう!

 

その日の授業はまったく耳に入らなかった。頭の中は、あのカードのことでいっぱいだった。

 

その晩は、何とも言いようのない恐怖に、ほとんど眠ることもできなかった。あのカードはいったい何のためなんだ?どうして父親のことなんか書いてしまったんだろう?もし彼がおやじに連絡でもしたら?いずれにしても、先生に何のかかわりがあるんだ?

 

水曜日の朝がやってきて、ぼくはしぶしぶ学校へ行く支度をした。教室には早く着いてしまった。ぼくは一番後ろの席に座って、できるかぎり身を隠そうとした。

 

授業が始まり、サイモン教授が思考カードを返し始めた。彼は、いつものようにそれぞれの席にカードを裏返しに置いた。ぼくはそれを手に取り、やっとの思いでひっくり返した。

 

カードにはこう書かれていた。「大馬鹿者の息子に生まれたことは、その人の人生にどうかかわってくるのか?」

 

ぼくは、胃にパンチをくらったような気がした。そのころぼくは、学生組合がやっているカフェテリアにたむろしては、仲間に「親のせいで」起きてしまった問題のことをえんえんと話していた。

 

彼らもまた、ぼくと同じ類のことを口にした。誰も、自分のことは自分の責任だなどとは言わなかった。いや、ぼくらはみな、親の悪口を言うことで互いを慰め合っていたにすぎなかった。

 

テストで悪い点をとったのは母親のせい、いいアルバイト先が決まらないのは父親のせいだった。

 

ぼくはつぎからつぎへと親のグチをこぼし、みんなも訳知り顔でうなずいてくれた。学費を出してくれているあいつらは、おせっかいな馬鹿者どもさ、そうだろう?

 

シドニー・サイモン教授の無邪気を装った質問が、この風船に針を突き刺した。それは、問題の核心をついていた。

 

それはいったい誰の問題なんだ? お前は誰の責任で生きているんだ?

 

ぼくはその日カフェテリアには寄らずに、まっすぐうちへ帰った。おかしなことに心が沈み、ひどく叱られたような気分だった。

 

ひと晩中ぼくはそのことについて考え続け、母の言葉を思い返した。

 

「億万長者になった人は、自分の力でここまでのし上がったと言うけれど、いざ逮捕されると、自分を虐待した両親のせいでこうなったと言うのよね」

 

サイモン教授の言葉は、じわじわと迫ってきた。それからの数週間、その言葉が何度も何度も脳裏によみがえった。あれこれ理由をつけては父親を責めている自分の声を聞くたび、ぼくのうちで小さな声がささやいた。

 

「オーケー、お前の言うように、おやじがほんとにひどい人間だとしよう。だからといって、お前はいつまでそうやって自分の人生から逃げ続けるつもりなんだ?」

 

ゆっくりと、だが確実にぼくの考えは変わっていった。やがて、ぼくは自分が自分の人生の主人公になっていなかったことに気づいた!ぼくは行為の対象であり、主体ではなかったのだ。

 

これは、サイモン教授のクラスで味わった感情よりさらに居心地の悪いものだった。ぼくは操り人形にはなりたくなかった。自分の人生は自分で演じたかった。

 

ぼくが自分の行動にも、選択にも、感情にも自分で責任をとり始めていることにみんなが気づき始めたのは、それから一年以上たってからだった。

 

ぼくは、どの学科の成績も大幅にアップしたことに驚いた。そして、いつの間にかたくさんのいい友だちに囲まれていたことに驚いた。

 

もうひとつびっくりしたのは、自分の父親が以前よりずっと賢く見えるようになったことだった。

 

ぼくはこのあとも、このユニークな教師の講座をもうひとつとった。

 

サイモン教授のクラスで、ぼくはそれまでにしたことがないほど熱心に勉強した。そして、思考カードには、ますます深く考えさせられるような質問が返ってきた。

 

数年後、ぼくは自分の中で起こった進歩に目をみはった。ぼくは落第すれすれの劣等生から成績優秀な学生へと成長し、一人前の高校教師となったのだ。

 

慢性的な怒りに悩まされ、人生の責務から絶え間なく回避している人間から、目的をもち、活力にあふれ、やる気のある、喜びに満ちた人間へと変わったのだった。

 

父との関係も、目に見えてよくなった。今では、父を威圧的というよりは、愛情と思いやりにあふれた人間と見ることができるようになった。

 

たしかに父はうまいやり方でぼくを育ててくれたとは言い難いかもしれない。だが、彼がやろうとしていたことにはいつも愛情の裏付けがあったことがわかるようになった。

 

言い争うことは次第に減って、今ではまったくなくなった。ぼくは父を、賢くて愛情深い人だと思えるようになった。

 

これらすべては、サイモン教授があの思考カードに書いてくれた、無邪気を装った質問がきっかけとなって起こったのである。

 

ハノック・マカーティー

『こころのチキンスープ8』ダイヤモンド社

Robert ArmstrongによるPixabayからの画像