いい話を、子どもたちに!【いい話を集めたブログ】

いい話をたくさん子どたちに聞かせたいと思い、古今東西からいっぱい集めました。寝る前にスマホで読み聞かせできます。大人の気分転換にもどうぞ。

「大空を目指して」(読了時間:約8分)

f:id:kkttiiss1036:20190425223540j:plain

 

陽光のかなたにある私の高き志よ。手には届かなくとも、それを見上げ、その美しさを目にし、それを信じ、それを追い求めようと努力することはできる。

ルイザ・メイ・オルコット

 

一九五九年、ジーン・ハーパーが小学三年生になったとき、担任の先生はクラスの全員に、「将来の夢」という題で作文を書かせました。

 

ジーンは、父親が農薬散布機のパイロットをしていたことから、飛行機や空を飛ぶことにすっかり心を奪われていました。そこで、思いを込めてこんな作文を書いたのです。

 

パイロットになって空から農薬を撒き、パラシュートで飛び降り、TVドラマで見たように雲を作り雨を降らせたいと。

 

ところが、その作文は「不可」と書かれて戻ってきました。作文に書いてあることは「おとぎ話」にすぎない、なぜなら彼女が挙げたのはどれも女性のやる仕事ではないというのです。

 

父親にその作文を見せると、父は言いました。「もちろん、お前はパイロットになれるさ。アメリア・エアハート(女性として最初の大西洋横断飛行に成功)を見てごらん。先生は、自分の言っていることがわかってないんだ」

 

しかし年月とともに、彼女の心はいよいよくじけるばかりでした。将来の夢を語ると、必ず否定の言葉や自信を失わせる言葉にばかり出会ってきたからです。

 

「女の子はパイロットになんかなれないよ。いままでも、これからもね」「もっと賢くなりなさい」「馬鹿ねえ、そんなこと無理よ」などなど。

 

ついにジーンはあきらめてしまいました。

 

高校三年になったとき、国語の教師スレートン先生に出会いました。スレートン先生には、言い訳やいいかげんなやり方は一切通用しませんでした。生徒に対して、つねに100パーセントの力を出しきることを要求するのです。

 

そして、生徒を絶対に子ども扱いせず、実社会で立派にやっていける大人になれるよう、いまから責任をもった行動をとることを彼らに求めました。

 

ジーンははじめこの先生を怖がっていましたが、次第に先生の確固たる信念と公平さを尊敬するようになりました。

 

ある日、このスレートン先生が、十年後の自分が何をしているかについてクラスの生徒たちに作文を書かせました。ジーンは何を書こうか考えました。

 

パイロット?ありえないわ。スチュワーデス?私はそれほど美人じゃない。家庭の主婦?誰も私をもらってくれないだろう。ウェイトレス?それならできるかもしれない。このへんが無難なところだと思って、彼女はそれを作文に書いたのです。

 

スレートン先生は、無言で作文用紙を集めました。二週間後、先生は一人一人の机に作文を裏返しに戻しながら、こう訊ねました。

 

「もしあなた方があふれるほどの才能と力に恵まれ、どんな一流の学校へ行くことも可能で、無限の資金を与えられているとしたら、いったい何をしたいと思いますか?」

 

昔の夢にかける情熱がよみがえってくるのを、ジーンは感じました。夢中になって、彼女はありったけの夢を書きつづりました。生徒たちが書き終わったとき、先生は質問しました。

 

「前回と同じことを書いた人はいますか?」

 

誰一人手を挙げませんでした。つぎにスレートン先生の言ったことが、彼女の進路を大きく変えたのです。先生はジーンの席まで来て、身をかがめてこう言いました。

 

「みなさんに知っておいてもらいたいことがあります。あなた方はじつは、あふれるほどの才能と力に恵まれ、どんな一流の学校へ行くことも可能で、無限の資金を与えられているのです。

もしあなた方が何かを切実に願いさえすればね。願うことがすべてです。自分の夢を自分で追わないとしたら、いったい誰がそれをかなえてくれるのでしょう? 何かを心から欲したとき、あなた方は必ずそれを手に入れることができるんですよ」

 

スレートン先生の語った真実の前に、長い年月の心の傷と恐れは消え去りました。ジーンは心が奮い立ってくるのを感じる一方、少し不安になりました。

 

そこで、授業の終わった後、先生の机まで行ってお礼を言い、パイロットになりたいという自分の夢について話したのです。ミセス・スレートンは立ち上がり、力をこめて言いました。「それなら、パイロットになるのです!」

 

ジーンは、その言葉を実行しました。一夜のうちにではありません。この難事業を成し遂げるには、十年の歳月がかかりました。無言の否定からあからさまな敵意まで、あらゆる反対に立ち向かってきたのです。

 

ジーンは民間パイロットになり、貨物輸送機と旅客機を操縦するための資格を取りました。しかし、いつまでも副操縦士のままでした。「女性だから」という理由で、昇進できなかったのです。

 

父親は、そんな彼女に何か別のことをやってみてはどうかと勧めました。ジーン、もういいじゃないか。このへんでやめてもいいと思うよ」「いいえ、パパ、私はあきらめない。いつかきっと新しい時代が来るわ。そうなったとき、私は最先端にいたいの」

 

ジーンはそれから、小学校三年のとき担任に「おとぎ話」だと決めつけられたことを、ひとつひとつ実現していきました。空から農薬の散布をし、パラシュートで二百回も三百回も飛び降り、雨雲をつくるパイロットとして活躍しました。

 

そして一九七八年には、航空会社に、初の女性研修員三人のうちの一人として迎えられました。当時女性パイロットは、全米でもまだ五十人を数えるほどでした。

 

今日、ジーン・ハーパーは、ユナイテッド航空のジャンボ飛行機のキャプテンを務めています。

 

これらすべては、ジーンが尊敬する女性から、大事な時期に、前向きのアドバイスや力強い励ましの言葉をかけてもらったことによって起きた結果です。

 

あの言葉こそが、彼女に、夢を追う力と信念を与えてくれたのでした。ジーンは言います。「私は、先生を信じることを選んだのです」と。

 

キャロル・クライン&ジーン・ハーパー

「こころのチキンスープ6」ダイヤモンド社

cocoparisienneによるPixabayからの画像