「希望の光」(読了時間:約6分)
子どもにとっての安心とは、
自分をしっかりと抱いてくれる父の腕である。
ーマリオン・C・ガレティー
五歳のとき、ぼくは重い病気にかかった。
両親は恐れおののき、医者たちは途方にくれた。ようやくつけられた病名は、髄膜炎だった。
当時は、この病気についてほとんど知られていなかったから、唯一ぼくを受け入れてくれたのは、都会にある一つの病院だけだった。
この病気は感染力が強く、死ぬ患者も非常に多かったので、ぼくは成人患者の隔離病棟に入れられた。
成人患者のベッドのあいだに、柵つきの小児ベッドが置かれた。例外なく、毎日のように誰かが死に、ぼくは小児ベッドの柵のすき間から、遺体が担架にのせられ運び出されるのを眺めたものだ。
ぼくの両親は、毎晩必ず見舞いに来てくれた。家から車で一時間、渋滞すればそれ以上かかった。
さらに気の毒なことに、両親はぼくに触れることすらできなかった。ぼくはほかの何よりも、この小さな体を抱いてくれる温かい腕が恋しかった。
しかしその腕は、病院用のガウンに包まれ、その顔は、大部分が大きなマスクで覆われている。ぼくに見えるのは父や母の目だけだったが、その目はたいがい涙で濡れていた。
入院後まもなく、ぼくは昏睡に陥った。髄液を取るため、脊髄に何か所も注射器を刺される日々だった。
ぼくは昏睡状態にありながら、なぜか自分がもうすぐ死ぬだろうと医者たちが話しているのを聞いていた。
母は教会で夜を徹してぼくのために祈ってくれた。父は自分を無力に感じ、たったひとりの幼い息子が手に届かないところに行ってしまったように感じていた。
父は何が何でもぼくに知らせたかった......父さんがついているよ、お前はひとりじゃないよと。まもなく父は、ちょっとした計画を思いついた。
意識が戻ったとき、ベッドの中に何かあるのに気づいた。父からのプレゼントだ。小さな懐中電灯だ。それに「愛してるよ。父さんより」と、メッセージが添えてある。
それまでもらったどんなおもちゃより、その懐中電灯はぼくの世界そのものになった。
ぼくは、自分のつま先や毛布の中にその小さな懐中電灯を当てて一日中遊んだ。
ある夜、とても素敵なことが起きた。両親がやって来る時間に、ぼくの枕元の窓が光ったのだ。
外の駐車場から照らされて。ぼくも懐中電灯の光を返した。
すると、今度は窓がぱっぱっと二回光った。ぼくも二回返した。それから三回。ぼくは、何か月ぶりかで愉快な気持ちになった。
父だ。父がぼくの世界に入り込む方法を見つけ、ぼくを恐怖から救い出そうとしてくれたのだ。
父とぼくはその日から毎晩、懐中電灯のゲームで遊んだ。ぼくは、死ぬことを考えなくなった。
クリスマスには、両親はツリーとプレゼントを何枚かの写真におさめて、ぼくの小児用ベッドの足元に貼った。
それらの写真は、クリスマスの喜びを余すことなく伝えてくれた。
ぼくはそれらを懐中電灯で照らしては、包みの中には何が入っているのかしらと何時間も想像して過ごした。プレゼントの包みを開けたい、という一心でぼくは元気になろうと決めた。
夜には、父が窓辺を懐中電灯で照らしてくれるのを待った。ぼくらは、自分たちで作り出したいろいろな暗号を使って、懐中電灯の光を交換した。
そうして遊んでいると、笑いがこみ上げてきた。悪夢は終わろうとしていた。五か月後、ぼくは退院した。
月日が経ち、ぼくは結婚し、両親には孫もできた。そのころ、父が脳卒中の発作を起こして倒れた。
もうしゃべることはできなかったが、その目を見るととても怯えているのがわかった。
その夜、ぼくはいちばん明るい懐中電灯を手に入れ、外から父の病室の窓を照らした。まもなく、父はこの世を去った。
葬儀のとき、ぼくは父に付き添っていた看護婦から、父の最期の様子を聞いた。
「お父さんは、その日はずっとつらそうにしていました。ところが、ふと上を向いたんです。そしたら口元に大きな笑みが広がったんです。体中がゆったりとしたように見えました」
「何だろうと思って、私も目を上げてお父さんが見ているほうを見ました。すると、窓から光が射し込んでいたんです。誰かが駐車場のあたりから懐中電灯か何かで照らしているような感じでした」
彼女は声をたてて笑うと言った。「きっと、天使が天国への道を照らそうとしてくれたんでしょうね。......今となっては永遠の謎ですけど」
ロバート・ディクソンザン・グアンディオーソ
『こころのチキンスープ17』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)