「回転皿」(読了時間:約4分)
自分の人生を見渡してみたとき、
最大の幸福は家庭における幸福である。
ジョイス・ブラザーズ博士
そのお皿は、買った当初から欠陥品だった。
だが、包装紙もレシートも捨ててしまったので、交換してもらうこともできなかった。
裏に突起があるせいで、ナイフやフォークの先がちょっと触れただけでクルクル回ってしまうのだ。
つまり、不運にもこのお皿に当たってしまった人は、押さえていないと、ナイフやフォークを使うこともできないのだ。
そのお皿は八枚揃えの一枚にすぎないし、わが家は四人家族であるにもかかわらず、それは迷惑なくらいしょっちゅう食卓にあらわれた。
私たちは、何とかその恐るべき「回転皿」が自分の席に並ばないようにずるい手を使うようになった。
子どもたちも、競ってお皿を並べる手伝いをしたがった。
だから、最後に席に着く人から、こんな叫びが聞かれることもしばしばだった。
「やだあ!昨日の夜、当たったばっかりなのに。他にお皿はないの?ここに座るのはやだからね!」。
あまりの文句の多さに、お父さんがはある夜この騒ぎに終止符を打つことにした。
「これからは、この回転皿を使う人に家族全員がおまけのキスをすること」
こう宣言して、その夜の回転皿にあたった娘にキスの雨を降らせたのだ。それから、私や息子にも同じことをするよう促した。
娘ときたら、嫌な気分はどこへやら、いつのまにか自分が特別な誰かになったつもりになり始めていた。
これがきっかけとなって、私たち家族は回転皿に対する態度を180度変えてしまったのだ。
全員が席に着くと、誰かがにんまりとして「回転皿が当たった」と宣言するのだ。そして、お皿をクルクル回してみせる。他の人に文句は言わせないぞと言わんばかりに。
家族の誰かが特別つらい一日を過ごしたことがわかれば、回転皿はわざとその人の前に並べられた。
みんなから順番にキスをしてもらうことで、夕食を始めるころには、その日の苦労はいやされ、あるいは忘れ去られてしまうのだ。
結局、回転皿はじきに割れてしまった。きっとあまりにも頻繁に使いすぎたせいだろう。もちろん、夕食時のキスの儀式も終わりになった。
しかし私は、このお皿がこれほど大きな意味をもっていたことに最近まで気づかないでいた。
先日、家族で外食をしたときのことだ。店の人がお父さんの前に置いたお皿が、クルクル回り出したのだ。
子どもたちはぱっと顔を輝かせ、私はお父さんにおまけのキスを進呈した。
そのとき、私はこう決心したのだ。あの回転皿の代わりになるものをできるだけ早く見つけなければと。
家族が互いを思いやる気持ちを表現する手段となる、日常的な何かを。私たちは誰もが、ときにはおまけのキスをしてもらうことが必要なのだ。
ローリ・ブロードフット
『こころのチキンスープ17』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像