「プレゼントはヘアピン」(読了時間:約7分)
私が七歳のときのことです。私は、母が誰かに「明日は、三〇歳のお誕生日なの」と言っているのを聞きました。
とっさにふたつのことが頭に浮かびました。ひとつ目は、母にも誕生日があるなんて知らなかったということ、ふたつ目は母が誕生日プレゼントをもらっているのを見た覚えがないということでした。
それなら、私が何かしてあげられるかもしれない。そう思って、私は自分の部屋に駆け込み、貯金箱を開けてありったけのお金を出しました。
五セント白銅貨が五枚。私の五週間分のお小遣いです。私は角の小さなお店まで歩いて行って、店のご主人に、母の誕生日プレゼントを買いたいと言いました。
ご主人は私に、二五セントで買えるものをすべて見せてくれました。
陶磁器の置物もいくつかありました。母はきっと喜んでくれるでしょうが、家にはこの手の置物がいっぱいあって、週に一回それらの埃をはらうのが私の仕事でした。これは、やめよう。
それから、小さなキャンディの箱もありましたが、母の糖尿病にはよくないのを知っていたので、これもやめました。
店のご主人が最後に出してくれたのは、ヘアピンが入った袋でした。母は、長くて美しい黒髪を週に二回洗ったあと、小さな束に分けてカールさせヘアピンで留めていました。
翌日、ピンカールをはずすと、黒い巻き毛が肩に流れ落ちて、まるで映画スターみたいになるのです。だから私は、ヘアピンこそが最適なプレゼントだと考えたのです。
私はご主人に25セントを払って、品物を受け取りました。ヘアピンを持って帰ると、子ども漫画のカラーページを破ってラッピングしました。包装紙を知らなかったのです。
翌朝、家族が朝食の食卓を囲んでいるとき、私は母のそばへ行ってプレゼントの包みを渡しました。
「母さん、お誕生日おめでとう!」母はびっくりして何も言えずに、しばらくじっと座っていました。
それから、涙がわき上がりました。漫画の包装紙を破り、中からヘアピンが出てきたのを見たときは、もうすすり上げていました。
「ごめんなさい、母さん!」私はあわてて謝りました。「泣かせるつもりじゃなかったの。ただ、楽しいお誕生日にしてほしかっただけなの」
「まあ、いい子ね、私なら楽しいわ!」と母は言いました。母の目をのぞき込むと、涙を浮かべながらも笑っています。
「だって、知ってる? これは私が生まれて初めてもらったお誕生祝いなのよ」と母は叫びました。
それから、私の頬にキスして「ありがとう、リンダ」と言うと、妹のほうを向いて言いました。「見て!リンダがお誕生日のプレゼントをくれたわ!」
そして今度は、弟たちのほうを向いて言いました。「見て!リンダがお誕生日のプレゼントをくれたわ!」
それから、父のほうを向いて言いました。「見て!リンダがお誕生日のプレゼントをくれたわ!」
母は、さっそく浴室に行って髪を洗い、私のプレゼントした新しいヘアピンでカールを留めました。母が部屋を出ていったあと、父が私を見て言いました。
「リンダ、昔山奥でわしらが育ったころは、大人は誕生祝いなどしなかったものだよ。小さな子どもだけでね。それに、母さんのうちはひどく貧しくて、子どものころだって誕生祝いなんかしてもらえなかった」
「だが、今日お前が母さんをあんなに喜ばせたのを見て、わしも考え直したよ。つまりな、リンダ、わしが思うに、お前は今日先例を作ったってわけだ」
私は、先例を作ったのです。それ以来、誕生日が来るたびに母はプレゼントを山のように受け取るようになりました。妹から、弟たちから、それに父や私からも。
そして、もちろん私たち子どもたちは、成長するに従って、もっとお金のかかった立派なプレゼントを贈るようになりました。
私は二五歳までに、ステレオやカラーテレビ、それに電子レンジなどを贈りました。
母の五〇歳の誕生日には、私たちきょうだいはお金を出し合ってあっと驚かせるようなプレゼントを買いました。まわりに小さなダイヤモンドをちりばめたパールの指輪です。
一番上の弟が、誕生日パーティーで、その指輪を母に進呈しました。母は、贈り物の箱を開け、中の指輪をじっと見つめました。それからにっこり笑いました。
パーティの後、キッチンでお皿を洗っていると、父と母が隣の部屋で話しているのが聞こえてきました。
「こいつは素晴らしく立派な指輪だね。これまでに母さんがもらった中で、最高の誕生日プレゼントじゃないか」と父が言いました。
母がそれに対して言った言葉を聞いて、私の目には涙がこみ上げてきました。
「お父さん、たしかにこれは素晴らしく立派な指輪だわ。でも、私にとって最高のプレゼントは、リンダが贈ってくれたひと袋のヘアピンだったわ」
リンダ・グッドマン
『こころのチキンスープ10』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)