「本当の豊かさ」(読了時間:約5分)
私は小学校の二年生になるまで、自分が貧しい家の子どもだということを知りませんでした。
一緒に遊べる9人のきょうだい、読む本、手作りのお人形といった具合に、必要なものは何でも揃っていたからです。
服はすべて母の手作りで、茶色の靴はぴかぴかに磨かれていました。髪の毛も、毎晩母が洗ってくれ、翌日の学校のためにお下げを編んでくれました。
学校でも、私はこの上なく満ち足りていました。新しいクレヨンの匂いや、工作用の厚紙の感触が大好きで、新しいことを学ぶのが嬉しくてたまりませんでした。
週に一回連絡係として校長室へ行く、あこがれの役も獲得しました。
私は今でも、あの日給食の人数を伝えに、校長室への階段を上っていったときの誇らしい気持ちを覚えています。
教室に戻る途中で、四年生の女の子二人とすれ違いました。
「ほら、貧乏な子よ」一人がもう一人の子にささやきました。二人はくすくす笑いました。
顔にかっと血が上り、涙がこみ上げて来るのを私はぐっと飲み込みました。それまでのうきうきした気分はぶちこわしです。
歩いて家に帰る途中、私はあの言葉を言われた後の、自分の気持ちを整理しました。あの子はどうして、私のことを貧しいと思ったんだろう?
私は厳しい目で自分の服を眺めました。すると初めて、それがひどく色褪せていること、しかも裾にはお下がりとひと目でわかる折り目がついていることに気がつきました。
そして、歩き方を矯正するには男の子用のがっしりした靴がいちばんだとわかっていたにもかかわらず、自分がこんな醜い靴をはいていることが急に恥ずかしくなりました。
家に着くころには、自分があわれに思えてきました。まるで他人の家に入ったような気分で、私は家の中を批判的な目で見回しました。
キッチンの床はところどころはがれ、玄関の古ぼけたペンキにはきたない指紋がついています。
キッチンから母が明るい声で「お帰りなさい」と言ってくれたのに、私は黙っていました。
手作りのクッキーと粉ミルクがおやつに用意されていましたが、私は確信を持って思いました。きっとよその家の子たちは粉ミルクなんて飲まなくていいんだわ。
私は、夕食の時間まで子ども部屋にこもり、母に貧しさのことを訊くにはどう切り出したらいいか考え続けました。
なぜ母さんは教えてくれなかったんだろう?人から言われなくちゃいけないなんて!
やっとのことで勇気をかき集め、私はキッチンへ行きました。
「うちって貧しいの?」
いくらか挑戦的な口調で、いきなり尋ねました。
私は母が否定するか、あるいはくだらないと笑い飛ばしてくれるのを期待していました。そしたら、多少は気が晴れるでしょうから。
母は一瞬黙って、じっと何かを考え込むように私を見ました。
「貧しいですって?」
ジャガイモをむいていた包丁を下に置きながら、母はその言葉を繰り返しました。
それから、「いいえ、貧しくないわ。よく見てごらんなさい」と、きょうだいたちが遊んでいる部屋のほうを指さしました。
母の目を通して、私はあたりを見回しました。
薪ストーブは赤々と暖かく燃え、窓には色彩豊かなカーテンが掛かり、あちこちに手作りの敷物が飾られています。
テーブルの上には、クッキーが山盛りになったお皿が載っています。
キッチンの窓の外には、10人の子どもたちが思いきり遊ぶことのできる広々とした田園風景が広がっています。
母は続けました。
「もしかしたら、私たちのことを貧しいと言う人もいるかもしれないわ。お金のことでね。でも、私たちはこんなに恵まれているのよ」
にっこりほほえむと、母は夕食の支度に戻りました。
その夜、母は私の空っぽの胃袋を満たしてくれただけではありません。私の心と魂まで満たしてくれたのです。
メアリ・ケニヨン
『こころのチキンスープ10』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
Ebrahim AmiriによるPixabayからの画像