「十四段の階段」(読了時間:約9分)
猫は九回生まれ変わるという。そんなこともあるかもしれないと、三つ目の人生を生きている私は思い始めている。
私の第一の人生は、生まれた時に始まった。父が早くに亡くなり、生活は大変だったが、やがて大人になり、私も結婚をした。
ことは私が第一の人生を楽しみ始めたころに起こった。私は健康に恵まれ、スポーツが大好きだった。二人の美しい娘に恵まれ、いい職につき、美しい家ももった。毎日が快適で、夢のようだった。
だが、その夢は悪夢に変わり、夜中に冷たい汗をかいて目覚めるようになった。私は進行性の運動神経障害にかかり、体が徐々に動かなくなっていった。こうして第二の人生が始まった.........。
わが家は中二階のある建物で、車庫から玄関まで十四段の階段でつながっている。
この階段の昇り降りというのが、たいへんだった。この階段は、私が生き続けていく意志と力を計る尺度となり、チャレンジとなった。
こう書いていくと、いかにも勇気と力にあふれた男の話のように思われるだろう。いや、いや、そんなものではない。
人生に幻滅し、自分の正気と妻と仕事にしがみついて、脚をひきずって歩いていただいなのだ。それも、変わりばえしない十四段の階段だけを頼りに。
その階段をひと足、ひと足、のろのろと痛みをこらえ、始終立ち止まりつつあがっていきながら、私はときどき、元気だったころを懐かしんだ。
キャッチボール、ゴルフ、ジムでのトレーニング、ハイキング、水泳、ランニング、ジャンプ。それがいまでは、階段をあがるのがせいいっぱいだ。
やがて、ある暗い夜に、私の第三の人生が始まった。
その朝、家を出るときには、こんなに大きな変化が起きようとは夢にも思っていなかった。
その夜、特殊な装置をとりつけた車を運転し、家に向かっていたら雨が降ってきた。
強い風と横なぐりの雨が車をたたく。私はふだんは通らない道をゆっくり運転していった。と、急にハンドルに手をとられ、車は急激に右にそれた。
とたんに、タイヤがバーンとパンクした。車は横すべりしながらもなんとか道路の端でとまった。とんでもない事態に茫然となって、私はただそのまま座っていた。
パンクしたタイヤを替えることなど、できるわけがない! 絶対に無理だ! 人通りがかりの車が止まってくれるかもしれない。
いや、そんなうまいことにはなるまい。誰がわざわざ止まってくれるものか。私だって止まらない!
と、そのとき、脇道をちょっと行ったところに家があるのを思い出した。エンジンをかけ、ゆっくり進み、舗装されていない道に出たところで曲がった。
助かった! 前方の明かりのついた。窓が迎えていてくれるようで、私はその家のまえまで車を乗り入れると、クラクションを鳴らした。
ドアが開いて、幼い少女が顔を出した。
私は窓を開け、大声で言った。「パンクしちゃってねえ。タイヤを取り替えようにも、おじちゃんは足が悪いんだ。助けてもらえないかなあ」
少女は家の中にひっこむと、すぐにレインコートを着、帽子をかぶって出てきた。後に男が元気に挨拶を言いながらついてくる。
私は車の中で濡れることもなく楽に休みながら、嵐の中で懸命に働いている少女と男のことをちょっと気の毒に思った。まあ、いいさ、二人には金を払おう。
やがて雨が少し弱まってきたので、窓を下まで開けて二人のようすを見た。作業はおそろしくもたついている。
私はだんだん苛立ってきた。車の後ろから金属がカチンカチンとぶつかる音がし、少女の声がはっきりと聞こえてきた。
「はい、これ、ジャッキよ、おじいちゃん」
男が低く何やら答えるうちに、車体はジャッキで揚げられてゆっくりと傾き始めた。それからまた雑音と、揺れと、車の後部で小声のやりとりが長いことあって、やっとタイヤの交換は終わった。
ジャッキが外されて車がドンと落ち、トランクのふたがバシンと閉まった。二人が車の窓のところに立っていた。
男は年寄りだった。腰は曲がり、痩身でいかにも頼りない。少女は八歳から一〇歳といったところか、私を見あげる朗らかそうな顔はにっこりと笑っている。
年寄りは言った。
「こんな晩に故障しちゃ気の毒だったが、これでもう大丈夫だ」
「いやあ、ありがとう。助かった」と私は言った。「で、いくらお支払いすればいいかね?」
彼は首を振った。
「いや、けっこうさ。孫から、あんたは足が悪い、松葉杖の人だって言うもんでね。力になれてよかったよ。あんただって、同じことをしてくれたさ。お金なんかいらないよ、仲間じゃないか」
私は五ドル札を差し出した。「いや、ぜひとも払わせてもらいたい」だが、老人は手を動かそうともしなかった。そのとき、少女が窓に近づいてそっと言った。
「おじいちゃんは目が見えないの」
続く数秒間のうちに、私を襲った恥ずかしさと身の縮むような思いは、吐き気がするほど痛烈だった。なんと、目の見えない老人と少女だったか!
二人は冷え切って濡れた指でボルトや道具をまさぐっていたのだ。とりわけ老人は暗闇の中で死の瞬間まで果てしなく続くだろう暗闇の中で。
二人はタイヤを替えてくれた。雨と風の中で。私は松葉杖を小脇に、車の中でぬくぬくと楽な思いをしていたのに。
私が障害者だと?.......ハッ、大笑いだ!
二人が「おやすみ」と言って家に戻ったあとも、いったいどのくらい座っていたろうか。私は自分の心の奥を見つめ、長い間深い反省に沈んでいた。
私は自分を憐れみ、身勝手に甘え、まわりの人びとの願いや思いやりに対しても冷淡で無関心だったことに気がついた。
私は座ったまま、声に出して祈った。謙虚に祈った。
「もっと力をお与えください。もっとまわりの人たちを理解できるようにしてください。私自身の欠点に気づかせてください。そして、それを克服するために助けをお与えください。日々、祈り求める信仰をお与えください」
あの老人と孫娘のためにも祈った。
ようやく、私は車を運転してその場をあとにした。
あれから何か月もたったが、いま私は毎日十四段の階段を昇るだけでなく、少しでもまわりの人の力になれるよう心がけている。
いつの日か、私も目の見えない人のためにタイヤを替えてあげよう! かつての私のように目があいていても、心の目があいていない人のために。
ハル・マンウェアリング
『こころのチキンスープ2』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
Jan W.によるPixabayからの画像