「仇敵(きゅうてき)」(読了時間:約5分)
私の祖母にはミセス・ウィルコックスを憎んでいました。
祖母と彼女はともに、小さな田舎町に嫁いできました。以来、お隣りどうしとして生涯をここで送ってきたのです。
どういう事情でその争いが起こったのか、何しろ私の生まれるまえのことですから、よくはわかりません。でも、その争いは熾烈に続いていたのです。
ことわっておきますが、これは気取った懸惣無礼な火花の散らし合いなんてものではありません。まさに女どうしの全面戦争でした。
町の人も、そのとばっちりを受けました。二人が「婦人援助協会」をめぐって闘ったときには、町の教会があわや崩壊するかとさえ思われました。
「公立図書館戦争」では、ミセス・ウィルコックスが勝ちました。彼女の姪が図書館の司書に任命されたからです。
「高校戦争」は引き分けでした。校長がいい職を見つけて転職してしまったからで、そうでなければ、ミセス・ウィルコックスが彼を追い出すのに成功していたか、祖母が彼を理事に就任させていたかの戦いになっていたはずです。
これ以外にも、さまざまな火種をめぐって、いやがらせと仕返しの応酬が絶えませんでした。
子どものころ、ウィルコックス家の庭の水ガメに蛇を入れたこともあります。
逆に祖母の食料貯蔵庫にスカンクを入れられたことだってあります。
祖母がこうした悩みに耐えて生きていくことができたのは、文通相手がいたおかげだったと思います。
「つつじ」というのが祖母のペンネームで新聞に投書したことをきっかけに、「かもめ」という名の女性と、25年間にわたって文通を続け、人には決して口外しないようなことを、この「かもめ」という人にだけは伝えたのです。
もうひとり子どもがほしかったけれどできなかったこと、息子が学校で髪の毛にシラミが付いてしまって恥ずかしい思いをしたこと、でも、町の誰も気づかぬうちに退治してしまったことなど。「かもめ」は祖母の心の友だったのです。
私が16歳のとき、ミセス・ウィルコックスが亡くなりました。小さな町のことです。どんなにお隣りさんを憎んできたとしても、駆けつけて、亡くなった人のためにお手伝いをするのが常識というものです。
祖母はお葬式のお役に立ちたいと、ウィルコックス家に行きました。
ウィルコックスの娘さんは、形ばかりの掃除をたのみました。
テーブルの上には、思い出の品々が置いてありました。
その中にあったのは、長年にわたる祖母からの「かもめ」への手紙でした。
祖母の最大の敵こそ、誰あろう、彼女の無二の親友だったのです。
このとき、私は後にも先にも初めて、祖母が泣くのを見ました。
祖母は取り返しのつかない、無駄にしてしまった歳月を思って泣いていたのです。
その日から、あることが私の信念になりました。その信念とは、人をあたまから決めつけてはいけないということです。
どうしようもなくだめな人に見えることがあるかもしれない。意地悪くて、せこくて、ずるく見えるかもしれない。
でも、そんなときちょっと見方を変えて違った角度から見るなら、本当は温かくて、親切な人だということに気づくことがあります。
どんな立場から見るかによって、相手の姿はまったく違ってくるのですから。
ルイーズ・ディッキンソン・リッチ
『こころのチキンスープ2』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
eberhard grossgasteigerによるPixabayからの画像