いい話を、子どもたちに!【いい話を集めたブログ】

いい話をたくさん子どたちに聞かせたいと思い、古今東西からいっぱい集めました。寝る前にスマホで読み聞かせできます。大人の気分転換にもどうぞ。

「卒業」(高校生以上)読了時間:約20分

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「ただ今より、ドレイク大学一九七八年度の卒業証書の授与式を行ないます。皆さんは、大学におけるそれぞれの教育課程を無事修了いたしました」

 

「マイケル・M・アダムス――おめでとう、マイケル。マーガレット・L・アレンおめでとう、マーガレット」

 

ほんとにわからず屋なんだから!大学に行くことが私にとって苦しいくらい切実な願いだったのを知らなかったとは言わせないわ。

 

いったいどういうつもりであんなことが言えたの?

 

「そんなに大事なことなら、自分の力でやり通してみたらどうだね?」ですって!ひどい親!

 

「ジョーン・C・アンダーソンおめでとう、ジョーン。ベティ・J......」

 

いつか思い知る日が来るわ。私ひとりの力でやらせて、自分は何もしてやらなかったことに良心の痛みを感じる日がやって来るわ。

 

一年、二年、三年、四年と、卒業までついに何の力も貸さなかったことを後悔して、すまなかったと思う日が来るわ。

 

「......バーレス――おめでとう」

 

ほら、名前を呼ばれた!わけのわからない広い世界に放り出され、ややこしい手続きのハードルをいくつも飛び越えて、ついに手に入れたわ!

 

大学.........そこはストレスにどれだけ耐えられるかを試される場所だった!四年間の苦労のすえ、ついに卒業証書を勝ち取ったのよ!くるりと巻いたこの証書に私の名前が書いてある。それが証拠だわ。

 

ええ、とても感謝してますとも、父さん!私は父さんが私のことを支えてくれ、誇りに感じてくれ、特別に大事な人だって思ってくれることをずっと願ってきたんですからね!

 

私が子どものころ、「心に描いたことはどんなことであれ実現させるんだよ」って言っていたのは父さんでしょう?

 

なのにどうしちゃったっていうの?いつも「信念と目標をもってひたすら努力しなさい」って言ってたくせに。

 

私がその夢に向かって努力してたあいだ、父親としてやさしく励ましてくれたことがあったかしら?

 

「両親のための日」(親をキャンパスに招待し、子どもの大学生活のようすを見せる日。この日に、フットボールの試合などの特別イベントをすることもある)に来てくれなかったのは、どれだけ大事な用事のせいだったっていうの?

 

他の親たちは皆来ていたのに......そして、卒業式というこの晴れの日に、父さんは来ていない。いったいどれだけご立派な用事があるっていうの?

 

一生に一度というこの日に娘を見に来てやれないなんて、どういうこと?

  

望みがないのはわかっていたが、私は1000人からの参列者の中に父の顔を探さずにいられなかった。だが、父の姿はどこにも見あたらなかった。

 

当然と言えば当然だった。私が大学に入ったのは、わが家の六番目の子が生まれたのと重なっていたし、大家族の農家には手の抜けない毎日の仕事がいろいろあるのだから。

 

今日という日がいつもと違う特別の日だと考える理由がどこにあるのだろう?

 

「すべての山を登り、流れをわたり...」

 

私たち卒業生がこの日のために選んだのは、いかにも歌い古された曲だった。そしてその歌詞は、私の胸に痛みを起こした。

 

「虹を追って、夢を見つけなさい」

 

102名の卒業生たちは、その日ひとりひとり舞台に上がっていった。満員の客席では、両親がそろって彼らを見守っているにちがいない。

 

卒業証書が全員に手渡された。私たち卒業生は立ち上がり、講堂のまん中の通路を並んで歩いていった。

 

歩きながら誰もが、一刻も早く汗だくのガウンを脱ぎ、チクチクするピンをはずし、家族との夕食やパーティーに飛び出していくことを考えていた。

 

私は本当にひとりぼっちだと感じた。悲しみと怒りがこみあげてきた。父には一通ならず二通も卒業式の招待状を送っておいたのに......。

 

私は父にその場にいて欲しかっただけではない。父がいてくれることが必要だった。夢や望みや目標を追い求めることの大切さを私に教えてくれたのは父だったのだから。

 

私がそれを果たした今、父に証人として見届けてもらわなくてはならなかった。

 

父さんに認めてもらうのが、私にとってどんなに大事なことか知らなかったの?これまで私に言ってきたことは、本気だったんでしょうね、父さん?それとも口先だけだったの?

 

「父さん、ねえ、来てくれるんでしょ?だって、一生に何回も大学を卒業するわけじゃないんだから」と、私は前もって頼み込んでいたのだ。

 

「行けるかどうかは、その日、畑に出られるかどうかで決まるさ」と父は言った。

 

「もし植えつけにいい日になれば、逃すわけにはいかない。雨がいつ降るかわからんからな。今年の春は、いい日を何日も逃してしまってるのだよ」

 

「雨が降れば、出席しよう。だが、あまりそればかりを期待されても困る。なにしろ、大学まで車で二時間はかかるし」

 

だが、私はそればかりを期待した。そのことしか頭になかった。

 

「すべての山を登り、流れをわたり」

 

客席では、満面に笑みをたたえた親や祖父母や親戚たちが、卒業生の列にわが家の新卒業生の姿を一目でも見ようとしていた。

 

そして、まわりを気遣いながらも人々をかきわけ、晴れの姿を写真におさめようとしていた。

 

その誰もが卒業生の親であり、祖父母であり、兄弟であり、おじやおばであることを誇り高く感じているにちがいない。その目には喜びの涙が浮かんでいた。

 

それにひきかえこの私は、落胆と拒絶の涙がこぼれ落ちそうなのをこらえているのだ。私はひとりぼっちだと感じただけでなく、実際にひとりぼっちだった。

 

「虹を追って......

 

私が未来への切符である卒業証書を学長から手渡された場所から、二七歩進んだときだった。

 

「ベティ」というやわらかい、だがせっぱ詰まった調子の声が私をとらえた。私は、自分で作り上げた胸のつまるような悲しみの世界からはっと引き戻された。

 

父の声だった。

 

大勢の人々の大きな拍手とざわめきの中から、そのやわらかな響きが聞こえてきたのだ。そのとき目にした光景は、一生忘れない。

 

卒業生のために用意された席の一番端に、父が座っていた!

 

父は小さくかしこまって見えた。私が小さかったころのあの自信にあふれたかみなり親父といった面影はなかった。

 

目はまっ赤で、大粒の涙が頬を伝い、新調したばかりの青い背広に落ちていた。心もちうつむいてはいたが、その顔には、言葉にしきれないほどの思いがあふれ出ていた。

 

父はひどく慎ましく見えたが、父親としての誇りに満ちていた。父が泣くなんて、今まで一度しか見たことがない。

 

しかも、今ここで父が静かに流している大粒の涙はとどまることを知らなかった。父が泣いている。

 

こんなにも男らしく誇り高い男が泣いている!私のうちでなんとかせき止めていた涙の防波堤がどっとくずれた。

 

つぎの瞬間、父は立ち上がっていた。私は感情の高まりを抑えるため、こんな場面にはふさわしく見えることをやってのけた。卒業証書を父の手に押しつけたのだ。

 

「ほら、父さんにあげる」。愛情と傲慢さと復讐心と甘えと感謝とプライドがごちゃまぜになった声で、父にこう言った。

 

「これはお前のものだよ」。父は、優しさと愛情だけがこもった声で答えた。そしてコートのポケットに素早く手を入れると、封筒を引っぱり出した。

 

戸外での労働を物語るごつい手を不器用に差し出し、私に封筒を押しつけた。もう一方の手で、両の頬を落ちる滝のような涙を拭った。

 

それは、もっとも長く、濃密で、感動的な10秒間だった。

 

行進しながら私は、この日起こったできごとのひとつひとつを、頭の中ですばやくつなぎ合わせてみた。父は、二時間かけてやって来る決心をしてくれたのだ。

 

大学は簡単に見つかったのだろうか?それともやっとのことで着いたのだろうか?

 

そして、父母のために設けられた場所より、10列も前の卒業生用の席のひとつに、卒業生をかきわけてたどりついたのだ。

 

父さんが来た!この素晴らしい春の日、植えつけには絶好の日に来てくれたのだ!

 

それにあのおニューの背広!私の記憶では、ベンおじさんのお葬式に一着買って、それから10年後、姉さんの結婚式にもう一着買ったきりだ。

 

それに、背広があると、行きたくないところへ「行けません」という口実がなくなってしまう。

 

つまり、新しい背広を買うということは、とりわけ大切な行事があるってことにほかならない。そう、その真新しい背広を着こんだ父さんが来てくれている!

 

私は、死ぬほど握りしめた封筒を見た。父から手紙やカードをもらったことは一度もなかったから、何が入っているのかまるで見当がつかなかった。

 

私はあれこれと想像してみた。

 

カードかしら?それも、父のサイン入りの。E・H・バーレスが自分の名前をサインするのはめったにないことで、それは心からの誠意を意味した。

 

父が握手すれば、それは他の誰かが署名するより価値があるということを、皆が知っていた。E・H・バーレスが約束したことは、くつがえされることがなかった。

 

戦後、無一文から新しい生活をスタートさせた父が融資の申し込みをすれば、どんな銀行にも断られたことはなかった。

 

だが、第二次世界大戦への二度の出征から戻ったとき、父は、勤勉かつ実直な人柄、かたわらで自分を支えてくれる美しく献身的な妻や子どもたちの他には、何ひとつもち合わせていなかったのだ。そう、自分の土地をもつという大きな夢をのぞいて......。

 

この封筒には、もしかしたら卒業式のプログラムが入っているのかもしれない。私が卒業証書を差し出したために、手当たりしだいに何か代わりのものをくれたのかもしれないのだ。

 

何にしても、中身を見て失望するよりはいろんな可能性をゆっくり味わっていたかったから、控え室に着くまで私はその封筒を開けずにもっていた。

 

そして、その大切なものを手に握りしめたまま、ガウンと帽子をどうにか脱いだのだった。

 

「見て、うちの両親ったら卒業記念にこんなものをくれたわ」と、マーサが手をもち上げ、きらりと光るパールの指輪をみんなに見せた。

 

「うちの親父は車を買ってくれたよ」と、トッドが部屋の奥から大声で叫んだ。

 

「すごいじゃない。私なんかいつも通り、何ももらえなかったわ」と、どこからか別の声。「おれもだよ」と誰かがそれに合わせた。

 

「ベティ、あなたは何かもらった?」と、ルームメイトが部屋の向こうから聞いてきた。

 

「ええ、信じられないようなものをもらったわ。でも、世界中で一番素晴らしい男性からのプレゼントですもの、もったいなくて教えられないわ」。

 

こう答えるのもその場にそぐわないような気がして、私は向こうを向いて聞こえないふりをした。

 

そして卒業式のガウンをきちんとたたみ、バッグにしまいこんだ。

 

今も大切にそこにしまってあるそのガウンは、父が来てくれ言葉をかけてくれたことによって、単なる卒業のシンボルから、実際に大きな意味をもつものに変わったのだ。

 

父の涙を思い出すと、また目がうるんできた。結局、父さんは来てくれた!父さんは私のことを大切に思ってくれていたんだ。

 

私は父からの大事な記念の品を破らないよう、封筒をゆっくり注意深く開けた。

 

親愛なるベティ

父さんが子どものころ、畑が人手に渡ってしまったことは知っているだろう。父さんの母親は、ほとんどひとりで六人の子どもを育てなくてはならなかった。あれは、家族のみんなにとってつらい時代だった。

 

畑をとられてしまった日、わしは自分自身に誓ったのだよ。いつかきっと自分の土地をもとう、そして自分の子どもにはその土地の権利をのこしてやろうとな。

 

子どもたちの生活は保証されていなければならない。世界中どこに住んでいても、どんな運命が待ち受けていても、子どもたちには、バーレス農場という帰るところがなくてはならない。子どもたちには、どんなときにも家がなくてはならないと、父さんは思った。

 

同封したのは、お前にやる農地の公正証書だよ。税金はすべて、前もって払ってある。これはお前のものだ。

 

お前が大学に入ったとき、父さんがどんなに誇らしく思い、学位をとってくれる日をどんなに待ち望んだかはわかるだろう。だがお前は、父さんが学費を捻出してやれなかったことでどんなにつらい思いをしたか、考えたこともなかっただろう。

 

あのとき、父さんはお前にどう話したらいいものかわからなかった。そんなことを言ったら、お前の信頼を失ってしまうのではないかと思ってね。

 

「自分の力でやりなさい」と言ったのは、お前のしていることの価値がわからなかったからでも、お前が自分の夢を実現させるために努力していることを認めなかったからでもなかったのだよ。

 

父さんは、お前が望んだほどすぐそばでお前を見守ってやることはできなかったかもしれない。だが、これだけは知っていてほしい。お前のことを考えなかったことは、片ときとしてなかった。

 

遠く離れていても、父さんはいつもお前を見ていた。お前がひとりぼっちでつらい道を歩いていたとき、父さんが知らん顔していたと思ったかもしれない。だが、それは違う。

 

父さんも必死だったのだよ。家族を養うため、そして、自分の夢をかなえるため。その夢が消えそうになっては、消えてたまるものかと戦ってきた。

 

なぜなら、この夢を実現することは父さんにはそれだけ大事なことだったのだから。それこそが、父さんからお前たちへの贈り物なのだ。父さんは、お前のためにたえず祈ってきた。

 

いいかい、可愛い娘よ。お前には、どんなきびしい状況にあっても、前に進もうとする強さと力がある。

 

そして、そんなお前を見ることが、父さん自身、試練や困難を乗り越え、夢を追い続ける力となっていたことを知ってほしい。

 

お前のおかげで、どんな苦しみをもそのかいがあるものだと考えることができたのだ。お前が父さんのヒーローであり、力と勇気と思い切りのよさのお手本だったのだよ。

 

休みにお前が家に戻って来たときには、一緒に農場を散歩し、いろんなことを話し合ったものだった。

 

父さんは、本当のことをお前に言いたかった。お前の信頼をそこねることなくね。だって父さんには、お前に信頼されていることが必要だったから。

 

だが、お前の若さゆえのほとばしるようなエネルギーと傲慢さとプライドを見るにつけ、また夢にかける意気込みを聞くにつけ、お前は大丈夫だろうと思うようになった。

 

お前にはやりとげる力がそなわっているし、お前は実際、やりとげるだろうと父さんは確信したのだよ。

 

だからこそ、今日、わしら二人はこうして夢を成しとげたことを証明する証書をそれぞれが手にすることができたのだ。

 

これこそ、父さんとお前が高い目標に向かって一生懸命に努力した結果じゃないか。

 

ベティ、父さんは今日、お前を心から誇りに思っている。

 

愛を込めて、父より

 

ベティ・B・ヤングズ

『こころのチキンスープ2』ダイヤモンド社

Gillian CallisonによるPixabayからの画像