「サイクロプスはわが心に」(読了時間:約9分)
美は、見る人の心のなかにある。
アル・バーンスタイン
「まったく牛ってやつは、どうしてこういう寒い日にかぎって子牛を産むんだか」。
いらだち以上に不安の色が濃くにじむ、夫の低い声。私たちは家畜小屋へ急いでいた。
その雌牛は出産予定を一か月も過ぎていた。おなかの大きさは尋常でなく、体重は一・四トン近くまで増え、私たちは心配でたまらなかった。
夜半を過ぎて見守ること三時間、ついに雌牛は、普通の倍の大きさの子牛を産んだ。
夜明け前、子牛が無事か確かめようと、私は家畜小屋へ向かった。
小屋へ入った時、私の足が、わらのなかに埋もれた何かに強く当たった。私は急いで足元を明かりで照らした。
私の前に、まったく予期せぬものが横たわっていた。黒い子牛だった。昨夜生まれたあの子牛に双子のきょうだいがいたのだ。
その黒い子牛がもがきながら立ち上がろうとしたとき、私は驚いて目を見張った。
頭は異様に大きく、背中から巨大なこぶが盛り上がっている。ずんぐりと短い脚はねじれ、ひづめはこん棒のようだ。子牛はぶるぶると震えていた。
私は可哀そうに思う気持ちを抑えきれず、ひざをついて手を伸ばした。そしてその顔を見たとき、心臓が一瞬止まった。
子牛には目がひとつしかなかったのだ。
その子牛は、一緒に生まれたきょうだいには恐れられ、母親には疎まれた。乳を吸おうとすると、母牛はその顔を蹴り、子牛が地面に倒れてしまうまで脇腹を角で突く。
その醜い小さな生き物は、傷を負い、血を流しながらも、そのたびによろめきながら立ち上がり、ふたたび同じことをするのだった。
何がなんでも乳を飲むと決めた様子で、母親をじっと見つめて待つ。母親が横になって休むときが来たら、すかさず近づいて乳首にむしゃぶりつく。
はじめのうち、わが家の子どもたちは、この子牛を怖がっていた。でも、彼が生きようと必死にがんばるのを見ているうちに、子どもたちの気持ちは変わった。
「あいつ、すごく人なつこいよ」と息子が言う。「えさをやりに行くと、ゲートのところまでとことこやってくるんだ。頭をなでてやるまで、邪魔するのやめないんだよ」
ある日の午後、娘が、国語の授業のときに読んだ本の話をした。
「目がひとつしかない巨人が出てくる話があってね、名前がサイクロプスっていうのよ。ぴったりの名前だと思わない?」
ということで、彼にはサイクロプスという名がついた。
それからの数か月のあいだに、この子牛はわが牧場のペットとなった。
小さな子どもたちはサイクロプスと一緒に遊び、砂糖の塊や柔らかい飼い葉をやった。
サイクロプスはそのお返しに、子どもたちの真っ赤なほっぺや手をなめる。
「ママ、見て!」子どもの声があがる。「サイクロプスはあたしのこと好きなんだよ!」
サイクロプスは、ほかの動物たちからも気に入られたようだった。
冬には、猫が彼の背中のこぶにすり寄るようにして寝ているところをよく見かけた。夏には、鶏や犬たちが、彼の体の陰に入り込んで陽射しを避けていた。
サイクロプスのいちばんの友だちは、一匹のひよこだった。二人が初めて出くわしたとき、サイクロプスは居眠りをしていた。
生まれて一週間もたっていないひよこは、ぴかぴかの黒い鼻を流れ落ちる汗の玉をつつきはじめた。
サイクロプスは大きく鼻を鳴らし、ひよこを吹き飛ばした。
しかしひよこは、何度も何度も同じことをくり返し、とうとうサイクロプスの顔に飛び乗って、あたりをつつきながら頭の上まで登っていった。
サイクロプスの角はペしゃんこにつぶれた塊のような形で、虫たちにとって格好の隠れ家となっていた。
虫が大好きなひよこは、すぐに彼の角の下にごちそうがあるのを発見した。
夏が終わるころになると、立派なにわとりに成長したひよこが、サイクロプスの頭にちょこんととまり、隠れた害虫を何時間もつついている光景は、もはや珍しくなくなった。
それでも、サイクロプスは他の牛たちには相手にされなかった。
サイクロプスは三歳になると、ひと月に一トン近い干草を食べるようになり、体重は七五〇キロを超えるまで成長した。私たちは、彼が牧場にとってどれほど無駄かという話を、極力避けようとしていた。
春とともに、繁殖の季節がやってきた。雌牛が子供を作るタイミングを正確につかむのが、私たちにとって最も時間と忍耐を要求される。何時間も何時間も観察を続けなければならないのだ。
サイクロプスは邪魔になるかもしれないので、もはや自由に歩きまわることを許されなかった。囲いに閉じ込められたサイクロプスは、寂しさですっかり落ち着きを失った。
数か月がたったが、牛の子作りは思うように進まなかった。子どもを作るタイミングを確信できたのは、二十頭のうちわずか二頭だけだった。
あるとき、私たちは、サイクロプスがうろうろ歩くのをやめたことに気づいた。彼は囲いのフェンス越しに、一頭の若い雌牛のほうを熱い目で見つめている。
何時間ものあいだ、二頭は鳴き声を交わしていた。
「もしかしたら、あいつ、おれたちにわからないことがわかってんじゃないか?」
「サイクロプスを放して、確かめてみようよ」
私たちはゲートを開いた。
サイクロプスは思いきり鼻を鳴らすと、短いねじれた脚でよろよろと牧草地へ入っていった。
サイクロプスが鋭い声で鳴く。相手の雌牛はその場で固まった。
彼は慎重に近づいていき、頭を上げて、雌牛の首筋を口でなでようとした。
雌牛はとうとう、自分の肩にサイクロプスの頭をのせることを許した。
サイクロプスは、それ以上何もできなかったが、やがて私たちは、その雌牛が子どもを作るタイミングなのだと知ったのである。
それからの二年間、サイクロプスは子どもをつくるタイミングの雌牛を一頭一頭見分けてくれた。その成功率は初めの年は九八パーセント、二年目は100パーセントだった。
サイクロプスは、もはや役立たずでもなく、孤独でもなかった。
サイクロプスがその生涯を終えたのは、たった四歳半のときだった。
私たちは、お気に入りの木陰に横たわっている彼の姿を見つけた。心臓があっさり鼓動を止めたのだった。
私は彼の首に手を滑らせながら、のどがぐっと詰まるのを感じた。子どもたちも必死で涙をこらえていた。
サイクロプスは大事なことを教えてくれた。それは、より広い心であり、仲間に比べて運に恵まれなかった者に対する、より深い理解である。
サイクロプスがちがっていたのは外見だけだった。彼の内面には、生きとし生けるものすべてがいだく、生きる意欲にあふれていたのである。
彼は私たちを愛し、私たちは彼を愛した。
ペニー・ポーター
『こころのチキンスープ18』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
Pete LinforthによるPixabayからの画像