いい話を、子どもたちに!【いい話を集めたブログ】

いい話をたくさん子どたちに聞かせたいと思い、古今東西からいっぱい集めました。寝る前にスマホで読み聞かせできます。大人の気分転換にもどうぞ。

「ニューオーリンズのマーガレット」(読了時間:約7分)

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アメリカの美しい街ニューオーリンズのとある小さな広場には、1884年に建てられた彫像があります。

 

低い椅子に座り、寄り添う子どもを腕に抱いた女性の像。

 

ちっとも美人ではありません。無骨な靴をはき、質素なドレスの上に小さなショールをはおっています。

 

でも、彼女のまなざしは、まるで母親のようなまなざしです。

 

像の女性の名はマーガレット。これから、なぜ人々が彼女をたたえる彫像を建てたのか、お話ししたいと思います。

 

マーガレットは、まだ小さな赤ちゃんのうちにふた親に死なれ、若い夫婦に引き取られました。

 

その夫婦は、実の両親と同じように、貧しくても心やさしく、マーガレットはおとなになるまで一緒に暮らしていました。

 

やがて彼女は結婚し、子どもをもうけました。ところがその後まもなく夫が亡くなり、そして赤ちゃんも亡くなって、マーガレットは天涯孤独の身となってしまったのです。

 

しかし、暮らしは貧しくても、彼女は強い女性で、働くすべを知っていました。

 

マーガレットは朝から晩まで、洗濯屋でアイロンがけをして過ごしました。

 

来る日も来る日も窓のそばで仕事に励みながら、近所の孤児院の子どもたちが、働いたり遊んだりする姿を見ていたのです。

 

しばらくして、街で恐ろしい疫病が猛威を振るい、おおぜいの父親や母親が命を落としたため、孤児院に収容しきれないくらいの孤児が出ました。

 

その子どもたちが必要とするのは、味方となって支えてくれる人です。洗濯屋で働く貧しい女性が彼らの味方になるなんて、いったいだれが思うでしょう?でもマーガレットはそうなったのです。

 

彼女は孤児院を運営する親切なシスターたちのもとへ迷わず向かい、これから子どもたちのために賃金の一部を寄付し、もっと仕事も増やすつもりだと告げました。

 

身を粉にして働いたおかげで、すぐに少しばかりの貯金ができ、そのお金で二頭の雌牛と小さな荷車を買いました。

 

そして毎朝、小さな荷車に牛乳を積んでお客さんのところに配達する仕事を始めたのです。

 

その道々、ホテルや裕福な家から残った食べ物を分けてもらい、それをまた荷車にのせて、おなかをすかせている孤児院の子どもたちのもとへ運びました。

 

どん底の時期には、子どもたちの食べるものはマーガレットが運ぶものだけ、というときもありました。

 

マーガレットが稼ぐお金の一部は毎週孤児院へ寄付され、数年たつと施設は拡張されて環境もよくなりました。

 

彼女はビジネスに関してとても慎重で、しかも才能があったので、寄付をするかたわらでさらにお金を稼ぎ、雌牛を買って増やしました。

 

それでためたお金を使って、マーガレットは親のない赤ちゃんのための施設を建てたのです。彼女はそれを「私の赤ちゃんの家」と呼びました。

 

しばらくのちに、マーガレットは運よくパン屋の店を手に入れることになり、牛乳配達をやめて今度はパン屋のおばさんとなりました。

 

牛乳を配達したように、荷車でパンを配達したのです。孤児院への寄付は、途切れることはありませんでした。

 

やがて、大きな戦争が始まりました。南北戦争です。

 

その時期、さまざまな困難や病気や恐怖のなかで、マーガレットはパンの荷車を引いてまわったのですが、売り物のほかにも、自分の施設の赤ちゃんたちの分や、飢えた兵士たちに分け与える分も必ず用意していました。

 

そうしながらもお金はこつこつと稼ぎ、戦争が終わるとパンを焼く大きな工場を建てました。

 

このころになると、街中の人がマーガレットのことを知っていました。街中の子どもたちが彼女を愛し、実業家たちは彼女を誇りに思いました。

 

貧しい人々が彼女のもとへ殺到し、教えを乞いました。マーガレットは粗末な木綿の服に小さなショールをはおった姿で、自分のオフィスの開け放した入り口に座り、貧富の別なくあらゆる人々にやさしい言葉をかけたのでした。

 

時は流れ、マーガレットは亡くなりました。そして、彼女はあれほど寄付をしていたにもかかわらず、莫大なお金を蓄えていたこと、そのすべてを街のさまざまな孤児院に遺したことがわかったのです。

 

どの孤児院も必ず何かを受け取ることとなりました。そこの子どもたちが白人だろうと黒人だろうと、宗教がなんであろうが、なんの区別もありませんでした。

 

マーガレットは「どの子もみなしごであることには変わりないからね」とつねづね言っていましたから。

 

それから、ひとつ申し上げておきたいことがあります。その賢明で素晴らしい遺言には、名前のかわりにバツ印で署名がされていました。じつは、マーガレットは生涯読み書きができなかったのです。

 

ニューオーリンズの人々は、マーガレットが亡くなったことを知ると、こう言いました。

 

「あの人は母のない子にとっての母だった。友のいない人にとっての友だった。学校では教われない素晴らしい知恵を持っていた。あの人のことを、われわれの記憶から去らせてはならない」。

 

そこで、人々は彼女の像を建てたのです。かつてよく見かけたままの、自分のオフィスや小さな荷車に座っていたときの姿で。

 

その像はいまでも立っています――ニューオーリンズに生きたマーガレット・ホーヒリーの偉大な愛と力を記念して。

 

サラ・コーン・ブライアント

『こころのチキンスープ18』ダイヤモンド社

(子供用に一部改変)

写真はウィキペディアより