「帰る家がある」(読了時間:約7分)
氷のように冷たい雨が降る中、おれは、いつものように居酒屋でひとり腰掛け、外の暗闇をじっと見つめていた。
ふと、居酒屋の向かいにある公園の水たまりにちょっとした塊があるのに気づいた。
それはみすぼらしい、腹を空かせた犬だった。
どうしてこんな雨の中、どうして犬が冷たい水たまりでうずくまっているのか?答えは簡単だった。
立ち上がることもできないくらい弱っているからだ。しかし、こんな大雨の中を飛び出していく気はなかった。
まあ、おれの犬でもないし、どうせ飼い主もいないんだろう。寒い夜に雨の中でさまよっているただの野良犬さ。孤独なさすらい犬ってわけか。
『おれと同じだな』と思い、おれはグラスに残った酒を喉に流し込み、戸口に向かった。
犬は、七、八センチも水に浸かっていた。おれが触っても、動かない。死んでいるのかと思ったが、胸に両腕を回すと、よろよろと立ち上がった。
首の先に頭が重りのように垂れ下がり、胴体の半分は皮膚病にやられていた。だらりとした耳は、ところどころ毛が抜け、ただれた皮膚がむき出しになっている。
「来いよ」と、おれは言った。
彼は一回だけ尻尾を振って、おれのあとをよろよろしながらついてきた。居酒屋の脇の空き地まで来ると、冷たいセメントの上に体を横たえ、目を閉じた。
通りの向こうに、コンビニの灯りが見えた。おれはドッグフードの缶詰を三つ買って、コートのポケットに押し込んだ。
びしょぬれで、ひどいざまだったから、店員はおれが出ていくとほっとしたように見えた。
店の女性が缶詰を開けてくれ、犬の名前はシェップだと教えてくれた。だいたい一歳くらいだが、飼い主はこの犬を置いたままドイツに行ってしまったらしい。
犬は恐るべき真剣さで、三つの缶を平らげた。撫でてやろうと思ったが、死ぬほど臭くて、どうしようもないほど汚らしかった。
「頑張れよな」。そう言って、おれはバイクにまたがり走り去った。
翌日、ダンプカーで町の中心部を走っていると、シェップが居酒屋の近くの歩道に立っているのを見つけた。
おれが大声で名前を呼ぶと、尻尾を振ったような気がした。おれは、ちょっといい気分になった。
仕事が終わると、ドッグフードの缶詰をもう三缶とチーズバーガーを買った。おれは、新しい友人と歩道で夕食を一緒に食べた。やつのほうが先に食べ終わった。
つぎの晩、おれが食べ物を持っていくと、犬は熱狂的に迎えてくれた。ときおり、栄養失調の脚がよろめいて、歩道に転がった。
これまでは他の人間から見捨てられ、ひどい扱いを受けてきたのだろう。だが今、やつには友だちができた。そして、明らかにそのことを喜んでいるように見えた。
その翌日、おれはトラックで何度もあの大通りを行き来したが、彼の姿は見あたらなかった。ひょっとして誰かが自分の家に連れ帰ったのだろうか。
仕事がすむと、歩道を歩いてその姿を探した。やつがどうなってしまったのか、知るのが恐ろしかった。
シェップは、通りの脇道に横たわっていた。泥まみれの舌は、ハアハアあえいでいる。
そしておれを見ると、尻尾の先端をわずかに動かした。おれはトラックで、ぐったりとしているシェップを乗せて近くの獣医に連れて行った。
診察した後、獣医は「あなたの犬ですか」と尋ねた。「いや、ただの野良犬です」。「ジステンパーになりかかっていますね」と医者は悲しそうに言った。
「帰る家がないとすると、一番親切な方法はこの苦しみから永久に救ってやることでしょう」
おれは犬の肩に片手を置いた。皮膚病にかかった尻尾が、診察台を弱々しく叩いた。
大きなため息をついて、おれは言った。「帰る家ならあります」
シェップはおれのアパートで横になったまま二日と三晚を過ごした。
おれは、何時間もかけてシェップの口に水を流し込み、スクランブルエッグを飲み込ませようと試みた。
食べる元気はなさそうだったが、おれが手を触れるたび、尻尾の先をかすかに振った。
三日目、おれがアパートに帰ってきたとたん、全身に嬉しさをみなぎらせたシェップが飛びついてきて、危うく押し倒されそうになった。回復したのだ。
死にかかっていた、皮膚病だらけの犬は、やがてがっしりした胸とふさふさと輝く毛並みをもった、体重三六キロの筋肉質な犬に成長した。
おれが寂しいとき、落ち込んでしまったときに、荒々しい親愛の情を示してくれることで、シェップはどれだけおれに恩返ししてくれたことか。
棒投げゲームをして遊んでやるうちに、おれの憂鬱はふっ飛び、いつしか笑わずにいられなくなっているのだった。
振り返ってみれば、おれとシェップは、どちらも人生のどん底にいるときに出会った。だが、おれたちはもうさすらい者じゃない。おれたちには、帰る家があるのだから。
『こころのチキンスープ11』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
bewegingantwerpenによるPixabayからの画像