「失敗記念日」(読了時間:約3分)
失敗とは遅れであり、敗北ではない。それは一時的な回り道であり、行き止まりではない。
ウィリアム・アーサー・ウォード
あるとても寒い日、家に帰ると横柄な文面のガス代の督促状が私を待っていました。
その上、三人の子どもたちまでが、えらくふさぎ込んでいるではありませんか。
11歳のトミーは、床屋さんで短く刈られてしまった髪を気にしていました。
「先生ったら『男の子は部屋の中で帽子をかぶるものじゃありません』って、ぼくの野球帽を取り上げちゃうんだもの。一日中『坊主頭』とか『スキンヘッド』とか言われるはめになったよ」と、両手で頭を隠しながら言いつけました。
二年生のリサは、綴り字大会の決勝戦で、びくびくしてしまったばかりに綴りを間違え、優勝を逃がしたとしょげていました。
一年生のジェニーは、音読の時間に緊張しすぎて笑ってしまい、先生から叱られ、文章を読んでいる途中でつっかえて友だちからも笑われたというのです。
そこで私は提案しました。「ねえ、あなたたち、今日を失敗記念日ってことにしない?みんなでお祝いしましょうよ!」
子どもたちは、びっくりした顔で私を見つめました。
「おばあちゃんはいつも、『成功するより、失敗したほうがためになる』って言ってたわ。石だって、あちこちの岩にぶつかってつるつるになったものほど、水面をよく飛ぶのよ。さあ、マクドナルドへ行って、第一回目の失敗記念パーティーをやりましょう!」
それ以来、私たちは何回も失敗記念パーティーをやりました。そして、失敗したことをくよくよする代わりに、その中から何かしら祝うべきものを探し出すことを学んだのです。
ジュディス・トウズ=ロバーツ
『こころのチキンスープ10』ダイヤモンド社
(子供用に一部改変)
eriko okunoによるPixabayからの画像