「愛は強し」(読了時間:約4分)
愛に基づいた目標をもっている、それが長生きの最大の秘訣だ。
私の父に、なぜ毎朝起きるのかと聞いたら、驚くほどシンプルな答えが返ってきたことだろう。「妻を幸せにするために、だよ」
両親が出会ったのは九歳のときだった。二人は毎日、登校前に公園のベンチで待ち合わせて宿題をした。母は父の国語の宿題を直してやり、父は母の算数を見てやった。
卒業のとき、先生が二人あわせて学校一の「優等生」だと言った。二人がそれぞれではなく、二人あわせてだった!
二人はゆっくりと時間をかけて関係を築きあげていったが、父はいつも、このひとしかいないとわかっていたという。
最初のキスは一七歳のときで、二人のロマンスは八十歳を過ぎても変わることがなかった。
二人の関係がどれほど力強いものかが誰の目にもはっきりしたのは、一九六四年のことだった。父がガンで、六か月から一年しかもたないと医師に告げられたのだ。
「お言葉を返すようですが、先生」と父は言った。
「私がどれくらい生きるか申し上げましょうか。妻よりも一日だけ長生きをしますよ。愛する妻をおいて、あの世へ行くわけにはいきませんからね」
そして、そのとおりになった。二人がどれほど愛し合っているかを知らないひとは、みんなびっくりした。母は八五歳で亡くなり、そして一年後に父が八六歳で世を去ったのだ。
亡くなる前、父はわれわれ兄弟に「余命が六か月が十七年になった、この歳月は人生で最高だった」と言い残した。
ロングビーチにある退役軍人病院で、父は生きた奇跡だと思われていた。愛情をこめて父を見守りつづけてくれた医師や看護婦たちは、ガンに侵されていながら、父がどうしてこんなにしっかりしていられるのか理解できないと言った。
父の説明は簡単だった。父は第一次世界大戦に看護兵として従軍し、切断された手足をたくさん見て、手足には考える力がないのだと気づいた。そこで、どうふるまうべきかを手足に指示しようと決意したという。
あるとき、激痛が走ったので、父は自分の体に向かって叫んだ。「黙れ!今日はパーティーなんだぞ」
世を去る二日前、父は言った。
「わしはもうじき、おまえたちの母さんに会うよ。おまえたちとも、いつかまた一緒になるだろう。だが、おまえたちは急ぐことはないぞ。わしは母さんに積もる話があるからな」
愛は監獄の壁よりも強い、とよく言われる。父は、愛が小さなガン細胞などよりはるかに強いことを証明してみせた。
ボブとジョージ、私の三人兄弟はまだこの世にいる。そして、父の最後の教えをしっかりと噛みしめている。
目標、愛、そして夢があれば、自分の身体も人生もコントロールすることができるのだ、と。
ジョン・ウェイン・シュラター
「こころのチキンスープ4」ダイヤモンド社
Andrea HamiltonによるPixabayからの画像