「あるアンパイアの手紙」(読了時間:約8分)
ドナルド・ジェンソンは、少年野球のアンパイア(審判)をしていた。
あるとき、試合の最中に飛んできたバットが頭に当たった。彼はそのままアンパイアを勤めたが、その晩、病院に運びこまれた。容体を見るため、ひと晩病院で過ごすことになったが、そのとき彼はつぎのような手紙を書いた。
野球少年のお父さん、お母さんへ
私はアンパイアです。といっても、職業としてやっているのではなく、土曜、日曜の趣味のようなものです。
私自身もプレイした経験があり、コーチであったことも、一観客であったこともあります。でも、なぜか、アンパイアにまさるものはないと思っています。
それはたぶん、心のどこかで、子どもたちがいがみあったり喧嘩しながら試合をすることのないよう、公平な判断を下す仕事を意気に感じているからでしょう。
けれど、こんなに楽しい仕事なのに、いやなことがあります・・・・・・。
みなさんの中には、私の仕事の意義をわかっていない人がいるからです。私がただ子ども相手に威張りたがってると思っているのです。
だから、私がミスすると、どなりつけたり、息子さんや娘さんに私が気を悪くするようなことを言わせようとけしかけるのです。
いったい、みなさんのうちでどれだけの方が、私が完璧な判定を目指してがんばっているのをわかってくれているでしょうか。
私はミスを犯さないように努力しています。あなたがたのお子さんに、アンパイアが不公平に扱ったと思われたくはありません。とはいえ、どんなにがんばっても、完璧にはなれません。
今日の六イニングの試合中、何回自分が判定を下したかを数えてみました。ボール、ストライク、セーフにアウト、私の下した判定は一四六回でした。
私はそのすべてに正しくあろうとして最善を尽くしましたが、いくつかは間違ったろうと思います。しかし、たとえば今日八回ミスしたとしても、九五パーセントは正しかったことになります。
これだけよい結果を出せれば、ふつうなら「優秀」と見なされると思います。学生なら、間違いなく”A”がもらえるでしょう。しかし、みなさんは高望みをします。ここでもう少し、今日の試合の話をさせてください。
今日の試合をゲームセットにしたきわいどい判定がありました・・・・・・。ホームチームのランナーが、パスポールですかさずホームをねらおうとしました。
キャッチャーはボールを追いかけて取り、ホームプレートをカバーしようとしているピッチャーに投げました。ピッチャーが滑りこもうとしたランナーに間に合ったので、私は「アウト」と判定しました。
さて、試合が終わって帰ろうとしたとき、こんなことを言っている親の声が聞こえてきました。「かわいそうにな、負けたのはアンパイアのせいさ。あんなひどい判定、あったもんじゃない」
また、友だちにこう言っている子どももいました。「ケッ、今日のアンパイア、ひでえんだ。おかげでこっちは勝っちゃった」
リトル・リーグの目的は、少年に野球の技を教えることにあります。しかし、肝心の試合で力を出さずに、アンパイアの判定にケチをつけるようなチームにかぎって、自分たちの負けを平気で人のせいにします。
アンパイアの優劣はともかくとして、負けをアンパイアのせいにする親やコーチは、いったい何を考えているのでしょうか?
野球を通じて責任というものを学ばせるどころか、そういう態度を甘やかして試合の本来の姿を歪めているのです。親のそういう姿勢こそ、子どもをだめにしているのです。無責任な子どもは、やがては無責任な大人になるでしょう。
私は、もうアンパイアをやめたいと思ったほど腹が立ちました。でも、思いとどまったのは、幸いにも妻が、先週起きたあるできごとを思い出させてくれたからです。
そのとき、私はプレートの後ろに立ってピッチャーに判定を下していましたが、彼は味方チームに不利なきわどい判定には、ことごとく身振りで反発していました。
観客にアピールしていたのです。自分がベストを尽くしている才能豊かなピッチャーで、私がそれに敵対する腹黒い悪人なのだと。
この少年はこんな調子で二イニング投げました・・・・・・。と同時に、ミスをした味方チームのプレイヤーをやじったりしていました。やがて、彼がダグアウトに戻ってきたとき、監督が彼をわきによびました。
私にも聞こえるような大声のお説教でした。
「おい、はっきりしろ。アンパイアになるか、役者になるか、ピッチャーになるか。どれになろうと、このチームでプレイしているかぎり、一度に一つの役しかできないんだ。
いまのおまえの役はピッチャーだが、ここまでのできはひどいもんだ。芝居は役者に任せ、判定はアンパイアに任せろ。さもなきゃ、この試合で投げるのはやめろ。さあ、どれを選ぶんだ?」
いうまでもなく、少年はピッチャーでいることを選び、試合に勝ちました。試合が終わったとき、少年は私のあとを追って駐車場まで来ました。そして懸命に涙をこらえながら、言ったのです。
「ごめんなさい。今日のぼくは本当に思いあがっていました。どうか許してください。最後までぼくたちのためにアンパイアをつとめてくれて本当にどうもありがとうございました」
そして、「ぼく、もっといい野球がやれるようにがんばります」と言いました。
私はつくづく思うのです・・・・・・。親のせいでどれだけ多くのいい子たちが、素晴らしい野球人になるチャンスをつぶしてしまっていることか。
親たるもの、子どもがアンパイアごっこにうつつを抜かすのをやめさせ、真剣に試合に取り組む努力をこそさせるべきではないでしょうか。
翌朝、ドナルド・ジェンソンは頭部の打撲傷がもとで亡くなった。
ダニー・ウォリックマイケル・J・ボランダー寄稿
「こころのチキンスープ3」ダイヤモンド社
Keith JohnstonによるPixabayからの画像